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ひのえうま(丙午)の意味とは?

ひのえうま(丙午)の意味

占い

ひのえうま(丙午)は、べつの読み方で「へいご」ともよみます。干支の午(うま)と十干の丙(へい)が重なる年の事をいいます。干支と十干の組み合わせは全部で60個あり、60個のうちのいつに当たるかというと、43番目になります。

十二支の「午」は、占いに使用する陰陽五行の中の「火」の属性になります。また十干の「丙」も陰陽五行では「火」の属性になります。「火」は夏の象徴にです。さらにこの十干では五行を更に、「陽(え)」と「陰(と)」に分けています。ひのえは「陽の火」という意味になります。また十二支の午も属性は「陽の火」です。

丙も午もそれぞれ、五行思想の「火」の運を持っています。また陰陽説では「陽」の性質があるとされています。そのため激しく燃え盛ることを表しています。古く中国では、ひのえうま(ひのえうま)の年は火災が多いと信じられており、日本に伝わった後も火災に気を付けるようにしていたようです。

ひのえうま(丙午)の午とは

占い

ひのえうま(丙午)の午は悪いことを火事等の悪い事を運ぶ午ということではではありません。「火」というものは古来より神聖なものとして扱われています。そのため「火」の影響を強く受けている「丙午」は「天馬(じんめ・しんめ)」と呼ばれています。「天馬」は神様を乗せる午で、神聖なものであると言われています。

「丙午」の午は、人に使われる午とは違います。神様を乗せるための仕事をして、いつでもしっかりと火にまつわる神様のところに祀られている、神聖で特別な午といえます。

ひのえうま(丙午)の人の年齢といつの出来事か

占い

ひのえうまはいつのことをいうかというと、最近であれば53年前の昭和41年(1966年)です。2019年で53歳になります。その前は明治39年(1906年)です。それより前のひのえうまがいつかというと、1846年で江戸時代です。ひのえうまは干支と十干の組み合わせて次に回るので60年周期になります。

次のひのえうま(丙午)がいつかというと、2026年になります。それまでの間に元号が変わっていますので次の元号の8年が、ひのえうま(丙午)になります。その次のひのえうま(丙午)がいつかというと、2086年がその年になります。


ひのえうま(丙午)の迷信とは?

ひのえうま(丙午)の迷信①夫を食う

けんか

ひのえうま(丙午)の迷信の1つ目は、夫を食うです。食うというのは実際に食物として食べるということではありません。「気性が激しすぎて夫の寿命を縮める」とか「運気をさげる」というような意味で使います。解釈が進みすぎて「妖怪になる」という迷信もあります。

なぜそのような説があるかというと、話は江戸時代まで遡ります。江戸時代に「八百屋のお七」という女性がいました。その女性がある男性と恋仲になります。二人は身分違い等もあり、なかなか気安く会えるような関係ではありませんでした。火事を出せばお救い小屋で会うことができると、お七は考え江戸に火放ちました。

幸いにして火災は未遂で終わりますが、現在でも放火は大罪です。江戸時代はすぐに処刑になるほどで、お七も当然処刑されてしまいます。このお七こそが「ひのえうま(丙午)」生まれだったのです。「恋に焦がれて火を放つとは、妖女ではないか」という話しになり、都市伝説ができあがりました。

ひのえうま(丙午)の迷信②火事を出す

火

ひのえうま(丙午)の迷信の2つ目は、火事をだすです。もともと干支も十干も陰陽五行思想も中国から伝わったものです。その中でも干支の「午」も十干の「丙」も「火」の属性の中でも「陽」というより強力な属性をもつといわれています。

丙午というのは、もともと男女にかかわらず、「火の属性が占い的に高いので火がでやすい」という言い伝えがある年なのです。そのためこの年は干ばつや火事に気を付けていました。

八百屋のお七が丙午うまれであったこと、元々火事に気をつけなければいけない年と言い伝えられていたということ、その二つが合わさってこのような迷信が出来上がりました。

ひのえうま(丙午)の迷信③男を殺す

けんか

ひのえうま(丙午)の迷信の3つ目は、男を殺すです。丙午は、60個ある組み合わせのうちで最もエネルギーが強い星回りと言われています。この星周りの人は、「パワフル」であったり、「気が強い」であったり、「ワンマン」であったり、「親分肌」であったりします。この星周りの人は大物になるといわれています。

丙午という星周りの女性は、「パワフルで、気が強く、ワンマンで、親分肌」なので恋愛で身を滅ぼすということが多いのです。しかしなぜそうなるかというと、気が強いので、男性より稼いだり、男性より活躍してしまうと言う事があるためです。

男性より活躍することが多いと言われているので、男性側の気持ちが弱ってしまい早死にするというようなことが信じられていたというのが、「男を殺す」の真相のようです。実際にはそのような統計はないと言われています。

ひのえうま(丙午)の迷信の影響は?

ひのえうま(丙午)の迷信の影響①女子の出生率が低い

女の子

ひのえうま(丙午)の迷信の影響の1つ目は、女子の出生率が低いです。日本の過去の出生率をみると、ある年だけ低くなります。昭和41年(1966年)です。この年の出生率は1.58人で、前の年の昭和40年(1965年)の2.14や次の年の昭和42年(1967年)の2.23と比べてもかなりの低くなっています。

迷信が今より信じられていた、明治39年(1906年)は前の年より出生率が4%と減少しています。またその年に生まれた女性が結婚適齢期になると、結婚話が破断になったりと大きな影響がありました。そのために自殺をする女性も多かったようです。

昭和41年の出生率が極端に少ないのは、マスコミが丙午の迷信を報道したことが影響したと言われています。「もし女の子が生まれたら…」と考えた両親が子供を産むのをためらったり、女の子とわかった時点で中絶を選び、その年に子供を産むことをあきらめて、次の年に延ばしたという話が残っています。

ひのえうま(丙午)の迷信の影響②離婚率が高い

離婚

丙午の迷信の影響の2つ目は、離婚率が高いです。これも迷信と言わざるを得ない場合が多いです。そもそも昭和41年生まれの女性が結婚適齢期になった頃は、「男女雇用機会均等法」が制定されて5年以上たったころですし、結婚してしばらくたった頃にはバブル崩壊等で不景気になったことなどがあって離婚率は上昇しました。

また、それより前の丙午である明治39年の場合は、丙午の女性は気が強い等の迷信や、八百屋のお七の都市伝説のためにそもそも結婚話が持ち掛けられなかったり、破談になってしまうということが多かったというのが真相のようです。


次の丙午は2026年ですが、その時にはこのような迷信が薄らいでいること祈りたいものです。また丙午の女性と男性で結婚している有名人には、「美少女戦士セーラームーン」の作者の竹内直子さんと「幽遊白書」の作者の冨樫義博さんがいます。今も結婚されていて夫婦で漫画を描かれています。

ひのえうま(丙午)の迷信の影響③前後年の出生率が乱高下し産婦人科が混乱

迷信

ひのえうま(丙午)の迷信の影響3つ目は、前後の年の出生率が上がったです。昭和41年の出生率は1.58ですが、その前の昭和40年と次の年の昭和42年はそれぞれ2.14と2.23と出生率が上がっています。昭和39年の出生率は2.04ですし、昭和43年の出生率は2.13で乱高下があったのは確かなようです。

これは、その頃の結婚したり、結婚を予定していた人が結婚そのものを1年早めたり、遅らせたことが影響しているようです。更に結婚をもうすでにしていている人が子供の予定を早めたり、一年遅らせたという推測もあるようです。

次回の丙午は2026年です。最近は産婦人科のトラブルについて訴訟が多く規模を縮小してしまう産婦人科も多いです。更に産婦人科医はハードなことで知られる科のため高齢化や跡継ぎがいないことで閉鎖してしまってい、数が減っています。丙午の迷信を信じてしまって医療に負担がかかることが無いようにしたいものです。

ひのえうま(丙午)昭和41年生まれ女性の出生率減少の理由は?

ひのえうま(丙午)昭和41年生まれ女性の出生率減少の理由①両親の結婚

結婚を悩む

ひのえうま(丙午)昭和41年生まれの、2019年に53歳になる女性の出生率減少の理由の1つ目は、両親の結婚です。昭和40年代の初めのころなので、恋愛結婚をする人も増え始めたころです。しかし当時はまだまだお見合いや知人からの紹介で結婚するというのがメインの時代でした。

そのため、その近くの年代で結婚を予定していた人の親や親せきが、「今結婚して子供がすぐに生まれたら丙午になる」と結婚自体を早めたり遅らせたりしたことが多かったということもあったようです。そのため、ひのえうま(丙午)の前後の年の出生率が他の年に比べても、高いという結果も残っています。

迷信は迷信と本人たちが割り切っていても、親や親せきがそれを許さないというのは、現代でもまだまだみられる傾向にあります。次のひのえうま(丙午)は、いつかというと、2026年です。この頃にはもっとこのような迷信が少なくなっていることを祈りたいものです。

ひのえうま(丙午)昭和41年生れ女性の出生率減少の理由②中絶が増えた

悲しい

ひのえうま(丙午)昭和41年生まれ女性の出生率減少の理由の2つ目は、中絶です。無事結婚をして、子供を授かった人もこの時期にマスコミが「ひのえうま(丙午)」の迷信や、八百屋お七の都市伝説をを流しました。

その噂を聞いて、「もし女の子だったら…」と不安に駆られた人たちが自ら中絶を希望したり、親や親せきが中絶の予約をしたと言う事もあったようです。更に生まれてきた子供が女の子だった場合にその場であきらめてしまうということが多く発生したともいわれています。

ひのえうま(丙午)の年に出生率が大幅に減少した理由には、迷信や噂がまだまだ強い力を持っていた時代の事だったということがあります。その噂を信じてしまった人がたくさんいたために起きた悲劇とも言えます。

ひのえうま(丙午)昭和41年生れ女性の出生率減少の理由③ベビーブーム前

赤ちゃん

ひのえうま(丙午)昭和41年生れ女性の出生率減少の理由の3つ目は、ベビーブーム前です。そもそも昭和41年という年は、実はベビーブームの前にあたります。第二次ベビーブームは昭和46年から昭和49年のことを指します。

また女性が高等学校に進学することが増えたり、「金の卵」と呼ばれて働くことが増えた第一次ベビーブームです。その年代の女性が結婚を意識しだすのがこの昭和41年頃です。更にこのころ初婚年齢もそれまでの20代前半から20代半ばに少しずつ遅くなっていってずれてきているというのも影響しているようです。

ひのえうま(丙午)の出生率の低下は、女性の社会進出が少しずつ進んできたということで、良い傾向ではあります。しかしいざ出産した後の保育園の問題や、育児そのもので悩む人も多かったために起きた現象でもあるようです。現代でもあまり解消されていない根深い問題の発端でもあったようです。

ひのえうま生まれの女性について

ひのえうま(丙午)の意味としては、十二支の午年と十干の丙が重なり60周年周期で訪れるものです。その組み合わせの中では43番目に当たる年です。元々その年というのは、五行思想「火」属性が組み合わさっているので「火事が起きやすい」という言い伝えがありました。

そこに輪をかけるように、江戸時代にひのえうま年生まれの女性が恋に焦がれて江戸に放火をしてしまいうという事件が起きてしまいます。「八百屋お七の都市伝説」です。それを明治39年やテレビが普及した昭和44年頃にマスコミが多くその情報を流し、混乱が起きたのが真相のようです。

また、女性の社会進出が少しずつと進んで、出生率がそもそも下がったというのも背景にあるようです。ひのえうま生まれの女性有名人も多くいます。芸能界や漫画や小説などので活躍する個性的な方が多いです。身近にいる人でもしっかりと社会に対し歩んでる強い女性のイメージがあります。以下の記事も参考にご覧ください。

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