果物だけじゃない八朔の意味は?
八朔(はっさく)の意味①ジャムなどに加工されるレモン科柑橘類の一つ
八朔(はっさく)の意味1つ目は、ジャムなどに加工されるレモン科柑橘類の一つです。独特の苦味と酸味が含まれている果物で、皮の内側についている袋のハイで食べるのが一般的とされています。現在では果物屋やスーパーで売られている他、ジャムやゼリーなどに加工して販売されています。
この果物が発見されたのは1860年ごろで、広島県島田熊町に存在するお寺「恵日山浄土寺」の境内で見つかりました。名前の由来は、当時の住職である「小江恵徳」が「八朔には食べられる」と発言したから名付けたというのが定説とされています。ちなみに、発見された寺には原木の切り株が保存されています。
また、旧暦の8月1日から食べられたと言われていますが、実際のところ、その時期では身がまだ小さいため食用としては適していません。現在では12月ごろから収穫された後、1〜2ヶ月ほど冷暗所で熟成した後に出荷され、各販売店やジャムなどに加工している会社に送られています。
八朔(はっさく)の意味②紅八朔などの品種
八朔(はっさく)の意味2つ目は、紅八朔などの品種です。この果物には普通のものだけでなく、「紅八朔」という品種が存在しています。紅八朔は、皮が淡い橙色で果肉は橙黄色をしており、果汁が多くて糖度が高いのが特徴です。また、普通のは12月ごろから収穫されるのに対して紅八朔は2月に収穫されるのも特徴です。
八朔(はっさく)の意味③八月朔日の略語
八朔(はっさく)の意味3つ目は、八月朔日の略語です、これを変換すると旧暦の8月1日を指す言葉になり、新暦に直すと8月25日〜9月23日ごろになります。この頃は稲穂が実る時期なので、農家の間ではお世話になっている人に収穫したものを贈る風習がありました。この行事は「田の実の節句」と呼ばれています。
また、「田の実」を「頼み」とかけられることから、鎌倉時代後期では農家だけでなく、武家や公家(貴族や上級官人)の間でも取り入れられるようになり、彼らも日頃から世話になっている人を感謝するための贈り物をするようになりました。
八朔(はっさく)の意味④白無垢をきた様子を雪に例えた言葉
八朔(はっさく)の意味4つ目は、白無垢をきた様子を雪に例えた言葉です。八朔の日に吉原の遊女たちが白無垢を着た様子を雪に例えたもので、これを「八朔の雪」と表現しています。
彼女たちは雪のように白い小袖を着て客を迎えることで、客たちに涼しげな景観を楽しませました。江戸のはじめ頃は白い袷(あわせ)を着るのが習わしでしたが、ひどく寒い八朔の時期に遊女の一人が小袖を着たことにより、それを着るのが慣例化したと言われています。
ちなみに、この言葉を使った小説として、2009年5月にハルキ文庫から刊行された時代小説「八朔の雪_みをつくし料理帖」が存在します。これは料理人が苦難を乗り越えながらも道を切り開く姿を描いたシリーズの一つで、文化9年〜文化11年1月までの話が掲載されています。
八朔(はっさく)の意味⑤神奈川県に存在する地名
八朔(はっさく)の意味5つ目は、神奈川県に存在する地名です。神奈川県横浜市緑区には、八朔の名がついた地名として、「北八朔町」と「西八朔町」が存在します。どちらも1939年4月1日に町区域設定がされているため、ちょっとした歴史が存在する場所となります。
こちらの記事では、神奈川県の方言についてまとめられています。神奈川弁とも呼ばれているこの言語は、よく聞くものからあまり聞かないものまで様々ですが、それを発言する姿は、人によっては可愛らしく見られています。神奈川弁を使う人と良い関係になるためにもこちらの記事を読んで、神奈川弁を勉強しましょう。
八朔(はっさく)の意味⑥農家の厄日
八朔(はっさく)の意味6つ目は、農家の厄日です。この日は農家の三代厄日と呼ばれており、実際に台風がよく来る時期と一致しています。そのため、農作物の被害が多く恐れられていました。ちなみに、残り二つの厄日は「二百十日(立春から210日目)」と「二百二十日(立春から220日目)」があります。
しかし、これは旧暦のころに呼ばれていたものなので、これらを新暦に直すと毎年日付が変わることになります。そのため、人々の間では農家の三代厄日は忘れ去られている傾向にあります。
旧暦8月1日の八朔に行われることは?
旧暦8月1日の八朔に行われること①お世話になっている人に贈り物をする
旧暦8月1日の八朔に行われること1つ目は、お世話になっている人に贈り物をすることです。この時期はちょうど稲穂が実り始める頃なので、それを刈り取って恩人に贈る風習が存在しました。
また、その頃が近づくと台風による被害や、鳥や害虫による被害が発生することが発生しやすくなるので、本格的に収穫を始める前に、豊作祈願と田の実りをお供えするという意味が含まれています。そのため、このような行為を「田の実の節句」と呼ぶようになりました。
こちらの記事では、おすすめの果物ギフトについてまとめられています。普段からお世話になっている人へのプレゼントとして、ジャムなどに調理すると美味しい人気の果物や、そのまま食べても美味しい高級な果物は最適です。日頃の感謝を伝えるためにもこちらの記事を読んで、相手にあった果物を探してみましょう。
旧暦8月1日の八朔に行われること②将軍に対して祝辞を述べる祝儀
旧暦8月1日の八朔に行われること2つ目は、将軍に対して祝辞を述べる祝儀です。昔から農家が行なっていた風習が、鎌倉時代になると武家や公家にも広まるようになりましたが、江戸時代では、より重要な日として扱われるようになりました。
1590年の八朔に、徳川家康が江戸城に入城しました。そのため、この日は幕府にとって重要な日として扱われるようになり、「八朔御祝儀」と呼ぶようになりました。また、この日は正月の次に大事とされており、大名や旗本が徳川将軍に祝辞を申し述べました。
ちなみに、これに転じて京都では、新暦の毎年8月1日に舞妓さんや芸妓さんが日頃からお世話になっている師匠や茶屋に感謝の思いを伝える行事が行われています。「花街八朔」と呼ばれているこの行事は、黒紋をつけた舞妓さんたちが挨拶回りを行なっています。
旧暦8月1日の八朔に行われること③熊本県で行われるお祭り
旧暦8月1日の八朔に行われること3つ目は、熊本県で行われるお祭りです。熊本県上益城郡山都町では、旧暦8月1日から変換した、新暦9月第一土曜・日曜の二日間の間に「熊本の八朔祭」が行われています。
この日は田の神に感謝しながら収穫の目安を立てる日とされており、高さ3〜4m、長さ7〜8mの山車が数十も現れます。これを目当てに、多くの観光客や写真家が訪れてくると言われています。
旧暦8月1日の八朔に行われること④子供の誕生を祝う伝統行事
旧暦8月1日の八朔に行われること4つ目は、子供の誕生を祝う伝統行事です。福岡県芦屋町では、生まれて初めてこの日を迎える子供に祝福する、300年以上続く伝統行事である「八朔の節句」が存在します。
この日を迎える家では、男の子の場合はわらで作られた馬に紙で作った武者人形を乗せたものを、女の子の場合は米粉を蒸した団子を加工して雛人形に整えた団子雛を作り、座敷に飾って子供の誕生を祝福しています。また、団子雛は、翌日の早朝に近所の子供たちに配るのが習わしとされています。
旧暦8月1日の八朔に行われること⑤男児の健康を祈る風習
旧暦8月1日の八朔に行われること5つ目は、男児の健康を祈る風習です。香川県丸亀市では、「八朔だんご馬」と呼ばれる団子を作り、長男のすこやな成長を祈る風習があります。
これは、丸亀藩出身の馬術の名人「曲垣(まがき)平九郎」にちなんでいるとされており、「我が子も彼のように立派な人物になりますように」という願いを込められていると言われています。また、この日はだんご馬だけでなく、武者人形や大きな鶴亀のお菓子なども一緒に飾られています。
そして、祝いが終わるとだんご馬は細かく切り分けられて一緒に祝ってくれた人に配られます。ちなみに、昔の子供達はだんご馬を食べさせてもらうと、健康を案じた親たちの生活の知恵として、灸を据えられていました。
様々な八朔を使い分けよう!
ジャムなどに加工されている果物としてのイメージが強いこの言葉は、紅八朔という品種が存在する果物を指すだけでなく、旧暦の8月1日を指したりと、様々な意味が含まれています。一度昔の人にあやかって、お世話になっている人に贈り物をすれば、喜んでくれるでしょう。
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