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中世ヨーロッパとは?

中世ヨーロッパの時代区分①中世前期(5~10世紀)

中世ヨーロッパの時代区分1つ目は、中世前期(5~10世紀)です。この頃はローマの影響を強く受けて、ダルマティカ(上画像)と呼ばれる短い袖のチュニックが流行していました。東ローマ帝国の時代になると高位の人は東方より流入した絹糸や宝石を使って豪華で厚みのある上着と、ズボンを履くようになります。

中世ヨーロッパの時代区分②中世盛期(11~13世紀)

中世ヨーロッパの時代区分2つ目は、中世盛期(11~13世紀)です。この頃は男女ともにブリオーというゆったりした長い丈のチュニックが流行しましたが、長くは続かずにコット(上画像の白い服)という身体にフィットした長い丈のチュニックにシュールコー(上画像の赤い服)という上着を重ねるスタイルが流行しました。

POINT

男女間で異なるブリオーの着こなし方

当時のヨーロッパはオリエントの影響をうけていたことと、縫製技術が未熟だったことで、製法が比較的に簡単だったブリオー(上画像)が流行しました。身体にフィットしているように見えるのは立体裁断だからではなく、紐で腰を縛り細く見せていたためです。当時は腰を細く見せるのが流行だったようで、幅の広い帯で縛ることでより細い腰を強調していたともいわれています。男女ともにシュミーズ(下着)の上から着用していて、女性ものは袖口が漏斗のように広がっていました。その他の違いは男性だけが履くブレー(ゆったりした長ズボン)です。女性の脚は宗教的観念から隠すものとされていたため、脚の形があらわになるズボンを履くことも禁じられていました。女性ものの美しく広がった袖は装飾品としての扱いを受けていて、思いを寄せる騎士への贈り物となり、それを贈られるのは騎士の誇りでもありました。しかし、若い男性がブリオーを着ることは昔気質の聖職者や一部の王からは不評でした。男性が女性のように髪を伸ばし、エレガントに振る舞う姿を軟弱と捉えたためです。動きにくかったこともありますが、そういった時代背景もありブリオーは次第に衰退していったようです。

中世ヨーロッパの時代区分③中世後期(14・15世紀)

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中世ヨーロッパの時代区分3つ目は、中世後期(14・15世紀)です。コタルディ(上画像)というコットの変形服が広まりました。男性はお尻くらいの丈、女性は床に引きずる程の丈という風に男女でデザインに差がありました。14世紀半ばには男性のコタルディはプールポワンという服にとってかわるようになりました。

POINT

プールポワンが大流行

プールポワンは初め、騎士の服でした。鎖かたびら(チェインメイル)の下または上か、鎧(プレートメイル)の下に着て、防寒や防護服の役割を果たしていました。それが14世紀半ばから17世紀にかけて男子の一般服として大流行したのです。14世紀初めの男子はコタルディというお尻くらいの長さのチュニックを着ていたので、プールポワンはそれに代わる画期的な服として貴族・商人・庶民へと浸透していきました。時代ごとに様々な変化を遂げるプールポワンですが、詰め物やキルティングを施し厚みをもたせることや袖が付いていることが共通しています。初期のものは襟がなく前のボタンで留めるものでしたが、15世紀には立襟付きのもの(上画像)が主流となり、詰め物で大きさを誇張したり、胴体部分と袖部分を別々に仕立てて着用してから紐で結びつけたりするようになりました。そうすることで、様々な組み合わせができるようになりオリジナリティを出していったのですね。


中世と近世(16~19世紀)の見分け方

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英国の約140年前の素晴らしい少女用の金色のシルクイブニングドレス。 このドレスがフィットするアンティーク、ヴィクトリアントルソーがやっと見つかりフィット着用。バスト78cm、ウエスト49cmのコルセット用ドレス、アンティークトルソー。このサイズのストックマンのトルソーは大変稀少です。現代の1号、2号トルソーでもウエストは55cmなのでボタンを閉めての着用は叶いませんでした。 少女でこの豪華なクラスのイブニングドレスは元ミュージアムのもの。しかし当時のコルセットのドレス着用は本当に大変だった、と思います。 金色に眩いほどに輝く総シルクとレースのアンティーク、19世紀後半の英国ヴィクトリアンドレス。 当時、少女の成長期の14歳頃のこのクラスの豪華なドレスは大変稀少とのことです。 (シルクのダマスク織&レース) #ロケーションフォト#撮影スタジオ#ウェデイングフォト#ロココ #ロマンティック #ポートレート #フォトグラファー #ヴィクトリアン#ポートレート撮影#フォトウェディング#ブライダル#プレ花嫁#写真館 #ウェデイングドレス#写真撮ってる人と繋がりたい#アンティークドレス #antiques #antiquedress #weddingdress

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中世と近世(16~19世紀)の見分け方は、コルセットと白いカツラです。これらのアイテムを着用しているかどうかが、中世と近世の違いです。美を追求する行為がエスカレートしてコルセットで身体のラインを整え、白く膨らんだカツラを被ることが貴族階級で流行したのは、16世紀に入ってからです。

当時の貴族たちには盛り髪が流行っていて、その大きさを競うように豪華なカツラを着用するようになりました。現代でも手軽にイメチェンできるアイテムとしてウィッグが流行っていますが、少し高いイメージがありますね。こちらの記事では100均で手に入るウィッグを紹介しているので、ぜひ参考に読んでみてくださいね。

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【男性】中世ヨーロッパの服装は?

庶民「生活に根付いた服」

中世ヨーロッパの男性庶民は生活に根付いた服を着ていました。中世初期から14世紀後半にかけて大きな変化はなく、シュミーズ(ワンピース型の下着)の上にローブ(膝丈くらいの貫頭衣)を着て、ブレー(ゆったりした長ズボンのような下着)を履くのが基本のスタイルでした。食生活も貧しく、生活環境も過酷でした。

肉体労働で体を酷使する生活だったので、服にお金をかける余裕はなかったものとされています。それでも14世紀半ばから流行しだしたプールポワンが庶民にも浸透すると、ブレーよりもショース(身体にフィットする長い靴下のようなもの)が人気を増していきました。


この頃はプールポワンで肩や胸板を強調した逆三角の上半身に、ショースで引き締まった脚を見せることが男性の魅力だと考えられるようになっていました。プールポワンとショースはリボンで結ばれ、このリボンを選定することが若者たちの間で流行しました。やや高価なプールポワンよりもリボンで個性を出そうとしたようです。

貴族「美と権力を象徴する服」

中世ヨーロッパの男性貴族は美と権力を象徴する服を着ていました。当時の貴族は美への関心が高く、シュミーズとブレーだけの姿は裸同然でした。14世紀に流行したプールポワンも上質な麻糸やビロードで仕立てられたり、貴重な染料で染めたり、金銀糸で美しい刺繍が施されたりしておしゃれを楽しむ生活をしていました。

14世紀半ばになると、プールポワンにホーズ(半ズボン)とショース、先のとがった靴を履き、マントを羽織るスタイルが流行して男性の正装として生活に根付きました。15世紀後半にイタリアで流行していた袖の膨らんだ上着や短いマントが流行しましたが、ホーズとショースは15世紀末になるまで男性の必需品でした。

美しさ・エレガントさを重視していた貴族たちは、各々に贅沢品を身に着け着こなしにもこだわっていました。帽子をかぶったり、マントを肩からさげたり、長いショースを履いて美脚をアピールしたりと楽しんでいました。この時代の贅沢品といえば毛皮で、マントの裏地やガウンなどに使用され豪華さを演出していました。

騎士「戦闘に特化した服」

中世ヨーロッパの騎士は戦闘に特化した服を着ていました。コット(身体にフィットした下着)の上にチェインメイル(鎖で編んだ鎧)、その上にシュールコー(ノースリーブのワンピースのようなもの)を着用していました。シュールコーは十字軍の軍服が発祥とされ、やがて貴族や庶民にも着られるようになりました。

初期のシュールコーは機能性を重視して、鎧の上から着て敵と味方を見分けやすくしたり、雨などで鉄の鎧が錆びるのを防いだようです。チェインメイルは動きやすく剣からの攻撃に強い防御力を発揮しましたが、槍などの突きの攻撃には弱かったので次第にプレートメイル(鉄板の鎧)に移行していきました。


また、マントは騎士の身だしなみの必需品で、特にマントルという半円形の毛皮を使ったものは上流階級しか身に付けられませんでした。騎士は他人の館に訪問するときや晩餐会の席でさえマントルを脱ぐことはありませんでしたが、開戦前や決闘を申し込むときにはマントルを相手へ放り投げることもあったようです。

【女性】中世ヨーロッパの服装は?

庶民「男性と変わらない服」

中世ヨーロッパの女性庶民は、男性と変わらない服を着ていました。中世の女性は髪を頭巾で隠すのが主流で、特に既婚者は夫のみが頭髪を見ることができました。庶民の服装はシュミーズの上からローブを着て腰はベルトで締めていましたが、これは労働の際に裾の長さを短くして動きやすくするためだったと考えられています。

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13世紀に入りヘアスタイルに少しの変化と男女の服装に大きな差が生まれ、ヘアスタイルは未婚の女性は自然におろしていた髪を結いあげて麻製の布で覆うようになりました。服装は男性がプールポワンとブレーで脚を出すスタイルだったのに対し、女性の服はスカートが床に届く程長くなりコタルディと呼ばれ区別されました。

POINT

中世ヨーロッパでの女性の地位

庶民の生活は厳しいもので、労働力は貴重でした。そのため女性は14歳ごろから子供を産み育てる役割があったようです。母として、妻として、娘として、男性を支え共に生活していました。それでも生きていくだけで精一杯の庶民は服にかける金銭的な余裕もなく、経済が安定して庶民がその恩恵を受けるまでは男性と同じような服装をすることになったのです。

貴族「優美で女性的な衣装」

中世ヨーロッパの女性貴族は、優美で女性的な衣装を着ていました。中世初期に着用されていたシュミーズ(肌着)の中でも、袖口がピッタリした踝丈のものをシェーンズと呼ぶようになりました。貴族たちは亜麻性のシェーンズの上にシュールコーを着ていて、高貴な人ほど床に引きずる程長いものを着て優美さを競いました。

13世紀後半にはシュールコーの袖ぐりが大きく開いたシュールコー・トゥベールというものが貴族の間で流行し、その下に着るローブに凝った装飾を見せることを競いました。パーティカラーという左右で色が違うデザインが流行り、それはシュールコーにも反映されました。既婚女性は家の紋章を刺繍することもあったようです。

15世紀後半にはヘアスタイルが大きく変わりました。エナンという円錐状の帽子を被り、エナンの先端から床まで届く長さのベールを垂らしていました。当時の女性はエナンと末広がりのスカートで二等辺三角形のシルエットをしていて、横から見て緩やかなS字を描く体型が美人の条件として考えられていました。

中世ヨーロッパの服装について書かれた本は?

中世ヨーロッパの服装について書かれた本①西洋服飾史

中世ヨーロッパの服装について書かれた本1つ目は、「西洋服飾史」です。西洋の服飾史を社会的背景と絡めながら学ぶことができるので、初めて服飾について学ぶ人の教本としておすすめです。当時の彫塑や絵画、記録などあらゆる資料を元に服飾への理解を深めることができます。

図やイラスト付きで解説されているものの、トップ以外はモノクロのイラストなので細かい部分が見づらいということもあるそうです。そのため、補足資料としてイラスト集などがあると理解が深めやすいでしょう。

中世ヨーロッパの服装について書かれた本②中世ヨーロッパの服装

中世ヨーロッパの服装について書かれた本2つ目は、「中世ヨーロッパの服装」です。文庫本サイズなのでイラストが小さく見づらい所があるそうですが、良質の紙にフルカラーで克明に印刷されているので綺麗で資料として持ち歩くにも便利です。フランスとイタリアを中心に、時代別に服飾の図案が載っています。

国王・貴族・騎士・宗教者・商人などの図案はデザイン用の図案集としても使えそうです。150ページ以上あるほぼ全てのページにイラストが載っていて、それぞれに簡単な解説が付いています。これだけのボリュームがありながら314円(amazon)という価格設定にも驚かされます。

中世ヨーロッパの服装から歴史を読み説こう!

中世ヨーロッパでは、社会情勢など他国の影響を受けてファッションも変化を遂げてきました。他国を侵略したり、強大な政権が崩壊したり、貿易を行うことでヨーロッパのファッションは発展していったのです。最先端のデザインを考案する国、染色技術や宝飾品で発展した国などが隣接していたことが刺激になったのですね。

当時、服にお金を掛けられるのは富裕層の特権だったので、貴族たちは貿易で手に入った貴重品を贅沢に使うことで自分たちの権力をアピールし、優雅さを互いに競いました。貴族に使える騎士たちは主人から服を譲ってもらうこともあり優雅な装いをすることもありましたが、マントなど騎士としての装いに信念を持っていました。

庶民は機能性や宗教的観念から服装が制限されていて服の素材も質素なものでしたが、経済が豊かになるにつれ貴族や騎士の間で流行したものを取り入れるようになりました。それぞれの服装には歴史があり、それを紐解く楽しさがありますね。みなさんも、中世ヨーロッパの服装から歴史との関係性を読み解いてみてくださいね!


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